1180年(治承4年)6月27日、大番役で京都に行っていた三浦義澄と千葉胤頼が、その帰路、源頼朝に会うため、伊豆の北条館を訪ねています。
本当は5月の中頃に帰ってきたかったようですが、源頼政との宇治合戦などがあって遅くなってしまったようです。
二人と対面した頼朝は、何やら話をしていたようですが、その内容は不明です。
ただ、平家が頼朝の命を狙っている時ですから、挙兵のことについて打ち合せしたものと思われます。
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三浦義澄は、相模国三浦郡の衣笠城を居城としていた三浦義明の嫡男。
8月に挙兵することとなる頼朝が、一番頼りにしていたのが三浦義明だったようです。
鎌倉材木座の来迎寺は、頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立した能蔵寺を前身としています。
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千葉胤頼は、下総の有力豪族・千葉常胤の六男。
頼朝に鎌倉入りを進言したのはが千葉常胤だったそうです。
鎌倉の光明寺の支院蓮乗院は、千葉常胤の檀那寺であったといわれ、本尊の阿弥陀如来像は常胤の守護仏と伝えられています。
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