石垣山城は、1590年(天正18年)に小田原征伐を行った豊臣秀吉が築いた城。
築くのに約80日間を費やした城も6月26日に完成。
よく「石垣山一夜城」と呼ばれますが、それは
「小田原城からは見えないように築城され、完成してから周囲の木を伐採したので、一夜にして巨大な城が出現したように見えたから」
なのだそうです。
突然出現した石垣山城を見た小田原城の将兵は戦意を喪失したのだと言われています。
そして7月5日、北条氏政・氏直父子が降伏。
その説得にあたったのは黒田官兵衛だったと言われています。
7月11日には秀吉の命により北条氏政が切腹、当主の北条氏直は助命され紀伊国の高野山に追放されました(氏直は翌年病死しています。)。
この間、鎌倉の玉縄城、伊豆の韮山城が開城しています。
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(早雲寺)
箱根湯本の早雲寺は、北条早雲の遺言により嫡男氏綱が創建した後北条氏の菩提寺。
墓地には北条五代(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)の墓が建てられています。
秀吉の命により切腹した四代当主・北条氏政と弟氏照は、北条氏の氏寺・伝心庵に埋葬されました。
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