鶴岡八幡宮の境内中央付近を東西に走る道は流鏑馬馬場。
源頼朝は、1187年(文治3年)に鶴岡八幡宮で放生会を始めますが、その年に造営されたのがこの道です。
流鏑馬を奉納するために造営したのでしょうね・・・
中央参道の東側
そして・・・
流鏑馬馬場は・・・
鎌倉道の起点だったとも考えられています。
『吾妻鏡』には「鎌倉往還」との記録がありますが、鎌倉を起点として放射状に延びる道のことで、『新編相模国風土記稿』には往還道が7つあり、そのうち5つが鎌倉道と呼ばれ、鶴岡八幡宮への参詣道だったことが記されているようです。
中央参道の西側
流鏑馬は騎乗の射手が馬を走らせながら的を射る弓馬術。
鶴岡八幡宮では、東の鳥居から西の鳥居にかけて三つの的が設けられます。
昔は、一から三までの的の当たり外れで、早稲、中稲、晩稲の出来を占ったのだとか・・・
春の鎌倉まつりでは武田流流鏑馬が、秋の例大祭では小笠原流流鏑馬が奉納されます。
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