四天王寺は聖徳太子の創建と伝えられる寺院。
聖徳太子は四天王寺創建にあたって「四箇院の制」をとったのだといいます。
「四箇院」とは、敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)、悲田院(ひでんいん)のこと。
敬田院は、修行の道場(寺そのもの)
施薬院は、薬を施す施設(薬局)
療病院は、病者の収容施設(病院)
悲田院は、身寄りのない老人などを保護施設
真言律宗の僧で、社会福祉事業に力を尽くした
忍性は、聖徳太子の「四箇院の制」に感銘を受け、1294年(永仁2年)に
四天王寺の別当に就任すると、悲田院・敬田院を再興させたのだと伝えられています。
四天王寺の西大門前の
石鳥居は、木造だったものを忍性が建て替えたもの。
当時の西大門は極楽への入り口として信仰されていたことから、病人や乞食など、救済を求める多く者が集まっていたのだといいます。