別冊『鎌倉手帳』

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2016年4月10日日曜日

母と子の悲しい運命・・・静の舞・鎌倉まつり・鶴岡八幡宮

京の白拍子だった静御前。

源義経に気に入られ妾となりました。


源頼朝と不仲となった義経が都を落ちるときも行動を共にしていました。

義経一行は九州へ渡るため摂津国の大物浦から船出しますが難破。

わずかな郎党と静を連れて吉野に身を隠しますが・・・

義経と静は吉野で別れます。


その後、山中をさまよっているところを捕らえられ、1186年(文治2年)3月1日、母の磯禅師とともに鎌倉へ送られてきました。

安達新三郎清経邸が宿舎とされたといいます。

そして、頼朝から鶴岡八幡宮で舞うように命じられたのは4月8日の灌仏会のときでした。


 静の舞


吉野山 峰の白雪 ふみわけて入りにし人の 跡ぞ恋しき

しづやしづ しづのをだまき くり返し昔を今に なすよしもがな




その後も静は鎌倉に留め置かれました。

義経の子を身籠もっていたからです。


『吾妻鏡』によれば・・・


静は、7月29日、安達新三郎の家で男子を出産します。

生まれてくるのが女子であれば命は助けられたのでしょうが、男子の場合は将来に憂いを残すので殺される運命にありました。


頼朝は、新三郎に生まれた赤子を由比ヶ浜に捨てるように命じます。

新三郎は静から赤子を受け取ろうとしますが・・・静は赤子を衣に包んで抱き伏せながら泣き続けたといいます。


しかし、助命の願いは叶わず、ついに磯禅師が静から赤子を押し取り、新三郎に渡してしまいます。

これを聞いた北条政子も頼朝に助命を願いますが聞き入れられず、生まれたばかりの赤子はで殺されました。


 由比ヶ浜


「誕生したばかりなのに生きることが許されない」

母が義経の妾だった故の運命でした。


平清盛に助命されたおかげで、源氏再興の願いを叶えた頼朝ですので、その仲が修復不可能となった義経の子を生かしておくわけにはいかなかったのでしょう。


 静桜


それから2ヶ月後の9月16日、静と磯禅師は、北条政子と娘の大姫から多くの重宝を賜り帰洛します。

(※静は、勝長寿院でも大姫のために舞ったといいます。)。

その後の静の消息はわかりません。


一説には、由比ヶ浜に身を投げたともいわれています。

また一説には、義経を慕って奥州へ向かったのだともいわれています。

鶴岡八幡宮流鏑馬馬場の静桜は、静の終焉の地とされる福島県郡山市の静桜が植樹されたものです。


 鶴岡八幡宮舞殿

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 相続と遺言

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