別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年5月23日月曜日

源義経終焉の地:高館義経堂~奥州平泉~


1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると、奥州の平泉藤原秀衡に庇護されていた源義経は、秀衡のもとを去り、兄頼朝のもとへ駆けつけます。

源平の戦いでは、平家を滅亡させた最大の功労者でしたが・・・

頼朝の許可なく官位を受けたことなどから、頼朝の怒りを買ってしまいます。

1185年(文治元年)、頼朝と対立した義経は、九州へ逃れようとしますが、摂津国大物浦で難破。

逃亡生活を送ることに。

そして、辿り着いたのが、やはり藤原秀衡のいる平泉でした。

義経が平泉に辿り着いたのは、1187年(文治3年)の春ごろではないかといわれています。

しかし、その年の10月、秀衡が亡くなります。

跡を継いだのは泰衡でした。




1189年(文治5年)閏4月30日、義経は、頼朝の圧力に屈した泰衡に衣川館を襲撃され、自刃します。

高館義経堂は、義経終焉の地に、のちの1683年(天和3年)に仙台藩主・伊達綱村によって建てられた堂です。



堂内には義経の木像が安置されています。


供養塔


松尾芭蕉句碑

「おくのほそ道」の旅で、高館を訪れた松尾芭蕉は「夏草や 兵共が 夢の跡」と呼んでいます。



源義経

藤原秀衡


静御前

弁慶


静の舞


奥州平泉

奥州征伐~奥州藤原氏の滅亡~


歴史めぐり源頼朝








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