東大寺は1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討で灰塵と帰します。
再興に奔走したのは俊乗坊重源。
それを支援したのが後白河法皇と源頼朝でした。
1185年(文治元年)に大仏の開眼供養が行われ、1195年(建久6年)には大仏殿が落慶しています。
落慶供養には頼朝も参列しました。
一説によると・・・
鎌倉大仏は源頼朝が造立を思い立ったのだといいます。
しかし、頼朝はそれを果たすことなくこの世を去ってしまいました。
頼朝の侍女だった稲多野局(いなだのつぼね)は、頼朝の志を受け継いで大仏造立の発起。
そして、東大寺の再興に尽力した重源の影響を受けていたという浄光が勧進して造立したのだといいます。
伝説ですので、現在の学説とは異なるのかと思いますが、頼朝が東大寺で金色の大仏を観て「鎌倉にも大仏を・・・」と考えたとしてもおかしな事ではなさそうです。
稲多野局の笠塔婆
(鎌倉大仏背後)
鎌倉大仏の背後には稲多野局の笠塔婆が置かれています。
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鎌倉との繋がりを求めて。