佐助稲荷神社は、源頼朝に挙兵を勧めたという「隠れ里の稲荷」の伝説が残された神社。
源頼朝が、まだ伊豆国の蛭ヶ小島に流されている頃の話。
病に臥していた頼朝の夢枕に白髯の老人が現れます。
そして、「汝は平氏を討つ天命を負うものである。早急に挙兵して天下を統一すべし」と告げます。
頼朝の問いかけには、「鎌倉隠里(かくれさと)の稲荷大明神」と名乗って姿を消したのだといいます。
後に鎌倉に入った頼朝は、「かくれ里」と呼ばれる地に祠を発見。
畠山重忠に命じて建立させたのが佐助稲荷神社なのだと伝えられています。
源頼朝は、1159年(平治元年)の平治の乱に初陣を果たし、一時、右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)に任ぜられますが、平清盛に敗れて解官。
その後、伊豆国に流された頼朝は、前右兵衛権佐であることから「佐殿」(すけどの)と呼ばれていたとのだといいます。
佐助稲荷神社の名は「佐殿を助けた」という意味があるのだとか。
そして、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立したことで「出世稲荷」とも呼ばれています。
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