別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2014年2月5日水曜日

北条得宗家・・・なぜ義時の法号なのか?

北条義時以降、北条氏の家督を継いで惣領となった者は、義時の法号である「得宗」という称号を用いました。

三代執権の北条泰時は、惣領家と他の系統とを区別し、嫡系であることを示すことで権力と支配の強化を図ったものと思われます。

そして北条氏惣領家の家督を「得宗」と呼ぶようになります。


 伊豆の国市・北條寺
(伊豆の国市)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ただ、疑問となるのは・・・

鎌倉で活躍した北条氏の初代はどのように考えても北条時政

にもかかわらず二代目の義時の法号が使われたというのは何故なのでしょう?

平政連が貞時を諌めるため提出した「平政連諫草」にも、北条氏の初代は義時となっているそうです。

時政は1205年(元久2年)、畠山重忠父子を騙し討ちし、さらに平賀朝雅を将軍に据えようと企てて鎌倉を追放されたからなのでしょうか・・・。









 二代執権北条義時

 三代執権北条泰時


 山内荘と北条氏

 北条氏をめぐる鎌倉


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