刻銘によれば、1296年(永仁4年)、大和国の石工大蔵安氏によって造られました(重要文化財)。
塔身の三面には種子が彫られている。
この宝篋印塔は関西形式から関東形式に移行する最初の塔であるともいわれています。
塔身の一面には阿弥陀如来坐像の浮彫り。
そして、石工心阿の追刻によると、1300年(正安2年)には極楽寺の忍性が供養の導師を勤めています。
心阿は大蔵安氏の子で、安氏が宝篋印塔製作の途上で死去したため、心阿がその跡を受け継いで完成させたのだといいます。
鎌倉:安養院の良弁尊観のものと伝えられる宝篋印塔にもその名が刻まれています。
1308年(徳治3年)の銘があるもので鎌倉最古の石塔。
※ | 当時、安山岩を加工する技術を持った者は関東にはいなかったようです。 |
多田満仲の宝篋印塔の周辺には、六道地蔵をはじめとする石仏群が存在します。
六道地蔵
精進池
応長地蔵
八百比丘尼の墓
二十五菩薩石仏群
これらも極楽寺の忍性がかかわっているのではないかといわれています。
近くには曾我兄弟と虎御前の五輪塔もあります。
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