「あれはいったいだれか」と思った盛遠は、女房の輿のあとをつけると、源渡(みなもとわたる)の家へ入っていきました。
女房は、3年振りに見た袈裟御前でした。
※ | 源渡は、源頼光の四天王の一人源綱の子孫。 綱は一条戻橋の上で鬼の腕を「髭切りの太刀」で切り落としたという伝説で知られている。 |
※ | 幼い頃に両親を亡くした盛遠は、叔母の衣川殿のもとで養われていました。 袈裟はその衣川殿の娘です。 |
文覚
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
盛遠は、日が経つにしたがって美しくなった袈裟を慕う心が募っていきました。
やがて夏が過ぎ秋がやってきます。
盛遠は9月13日の朝、衣川殿の家に押しかけ「袈裟に会わせてほしい」と強要します。
衣川殿が断ると刀を振りかざし脅します。
困った衣川殿は、仕方なく袈裟に手紙を書き呼びつけることとしました。
駆けつけてきた袈裟に衣川殿は、盛遠の話を語り、袈裟に殺してくれるよう頼みましたが、袈裟としても母親を殺してまで自身を守るわけにもいきません。
そして、夜になると盛遠が乗り込んできて、袈裟と盛遠は一晩を過ごしました。
朝になると盛遠は「帰さない」と言い出します。
すると袈裟は、「夫の渡を殺してくれ」と頼みます。
「夫の髪を洗い、酒を飲ませて酔いつぶれさせて寝かせます。そこへ忍んできて討ってください」
それを聞いた盛遠は、喜んで日が暮れるのを待ちました。
一方、家に帰った袈裟は、渡の髪を洗い、酒をすすめて、酔いつぶれた渡を奥のとばりに寝かせつけます。
そして、自分の髪を水で濡らし、いつも渡が寝ているところに身を横たえ、盛遠が来るのを待ちました。
そうとは知らない盛遠は、約束どおり渡の家に忍び込み、濡れた髪をした首を打ち落としました。
その首を袋の中に入れて、自分の屋敷に戻った盛遠は、「ほっ」としてくつろいでいると、「袈裟が殺された」という情報が飛び込んできます。
盛遠は、「はっ」となって首を入れた袋を開けてみると、その首は袈裟の首でした。
夫への操をたてるため、自らの命を犠牲にした袈裟御前の物語です。
この時、袈裟は16歳。
(京都:恋塚寺)
盛遠は出家し「文覚」と名乗り、袈裟の菩提を弔ったといいます。
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(伊豆の国市)
その後、文覚は、神護寺再興のための強訴をして伊豆国へ流され、そこで源頼朝と出逢ったといいます。
その時、文覚は頼朝に平氏打倒の挙兵を勧めたともいわれています。
のちに源頼朝が鎌倉に武家政権を築くと、源頼朝や後白河法皇の庇護を受け、神護寺や東寺の復興を手がけました。
また源頼朝の許しを得て、平維盛の遺児六代御前を神護寺で保護しています。
しかし、源頼朝が亡くなると間もなく、対馬国流罪となり、その途中で亡くなったと伝えられています。