別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2012年11月15日木曜日

以仁王の発した令旨


『吾妻鏡』の記録は、序文のあと、以仁王の令旨から始まります。

1180年(治承4年)4月9日、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)は、源頼政のすすめで、全国の源氏に平家打倒の令旨を発しました。

頼政は、夜になって息子の仲綱とともに以仁王のところに行って、「頼朝などを味方にして、平清盛から政権を取り戻しましょう」と申し上げたのだとか。


平家打倒の令旨が発出されると・・・

ちょうど京都にいたという源為義の子行家が、「まず伊豆の頼朝に伝え、その後、他の源氏にも伝えるように」と命じられています。

4月27日には、伊豆国北条館(北条時政邸)に到達。

源頼朝は、源氏の氏神・石清水八幡宮を遙拝してから開いて読んだのだといいます。



(伊豆の国市)


(京都)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


下す

東海、東山、北陸、三道諸国の源氏並びに群兵等の所へ

応えて早く清盛法師並びに従類叛逆の輩を追討の事


右、前伊豆守正五位下源朝臣仲綱宣ず

最勝王(以仁王)の勅を奉りて称(い)う

清盛法師並びに宗盛等、威勢を以て凶徒を起す

国家を亡し、百官万民を悩乱す

五畿七道(全国)を虜掠し、皇院(後白河法皇)を幽閉し、公臣を流罪す

命を断ち、身を流す

淵に沈め、樓(牢)に込め、財を盗り、国を領す

官を奪い職を授け、巧無きに賞を許し、罪あらずに過(とが)を配す

あるいは諸寺の高僧を召し釣(こ)め、修学の僧徒を禁獄す

あるいは叡岳(延暦寺)の絹米を給い下し、謀反の粮米を相具す

百王の跡を断ち、一人の頭を切る

帝皇に違逆し、仏法を破滅し、古代を絶つ者なり

時に天地悉く悲しみ、臣民皆愁う

よって吾一院の第二皇子と為て、天武天皇の旧儀を尋ね、王位推取の輩を追討す

上宮太子(聖徳太子)の古跡を訪ね、仏法破滅の類を打ち亡ぼさんや

ただ人力の構へを憑(たの)むにあらず、ひとへに天道の扶(たす)けを仰ぐ所なり

これによって、もし帝王三宝神明の冥感あらば、何ぞたちまち四岳合力の志なからんや

然らば則ち、源家の人、藤氏の人、

かねては三道諸国の間、勇士に堪えら者、同じく与力し追討令(せし)め、

もし同心せずにおいては、清盛法師の従類になぞらい、死流追禁の罪過に行うべし、

もし勝功あるにおいては、まず諸国の使節に預かり、

御即位の後、必ず乞いに随(したが)い勧賞を賜わるべきなり

諸国承知して宣に依てこれを行え


治承四年四月九日

前伊豆守正五位下源朝臣仲綱





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