「披講」とは、詩歌に曲節をつけて詠み上げることで、本来、和歌は披講することを前提としています。
この儀式は、
司会役の読師(どくじ)1名
全句を節をつけずに読む講師(こうじ)1名
第一句から節をつけて歌う発声 (はっせい)1名
第二句以下を発声に合わせて歌う講頌(こうしょう)4名
によって進行されていきます。
『吾妻鏡』によれば、
1184年(寿永3年)4月4日、源頼朝は、桜が満開の御所に一条能保を招いて花見を催し、「管弦詠歌の儀」を行っています。
1186年(文治2年)8月15日には、東大寺再建の勧進のため、奥州へ向かう途中の西行に歌道と弓馬の事について尋ねたといいます。
(参考:鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬)
源頼朝は、武家の都を創始しただけでなく、和歌にも優れた人物でした。
慈円との贈答歌
「陸奥のいはでしのぶはえぞしらぬふみつくしてよ壺の石ぶみ」
は『新古今和歌集』に撰されています。
また、源頼朝の次男源実朝は、和歌の道に精進し、家集『金槐和歌集』を編纂しています。
(参考:歌人として名を残した三代将軍源実朝)
鎌倉国宝館前の「源実朝の歌碑」には、
「山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」
と刻まれています。
鶴岡八幡宮で行われる「献詠披講式」は、和歌に精通していた源頼朝や源実朝にちなんで、平成17年より始められました。
披講される和歌は、実朝の一首と公募によるものだということです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆