別冊『鎌倉手帳』

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2011年8月25日木曜日

渋谷重国と佐々木四兄弟~石橋山の戦い~

渋谷重国は、相模国高座郡渋谷庄を領していた武将です(現在の藤沢市、綾瀬市、大和市にまたがる地域です。)。

重国は、平治の乱後、奥州へ逃れようとしていた佐々木秀義とその子を引き止め、娘を秀義に嫁がせ婿としています。

以後20年に亘って、秀義父子は重国の保護を受けていたといいます。


 早川城址

渋谷重国の居城「早川城」は、現在の綾瀬市にありました。

 早川城址

重国の保護を受けていた秀義の子とは・・・

「佐々木四兄弟」として知られる以下の四名です。

(※平治の乱の折、四男高綱は幼少だったことから、父秀義とは行動を共にせず、叔母に育てられていたといわれています。)


嫡男定綱

母は源為義(頼朝の祖父)の娘。山木館襲撃では、山木兼隆の後見役だった堤信遠を討ち取っています。

次男経高

母は宇都宮氏の娘。兄定綱とともに堤信遠を攻め、頼朝と平氏との戦いの一番矢を放ちました。

三男盛綱

母は源為義の娘。頼朝には、1166年(仁安元年)から仕えています(16歳)。山木館襲撃では、加藤景廉とともに山木兼隆を討ち取りました。
のちに小動岬に近江の八王子宮を勧請しています(小動神社)。

四男高綱

母は源為義の娘。山木館襲撃では、兄定綱・経高とともに堤信遠を討ち取ります。石橋山での敗戦後、椙山の堀口に陣を布いた頼朝をよく守りました。
のちの「宇治川の戦いでの先陣争い」で知られている武将です。
横浜市港北区の鳥山八幡宮付近には、高綱の館があったといわれ、近くには名馬「生食」を祀る馬頭観音堂があります。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『吾妻鏡』によれば・・・

1180年(治承4年)8月9日、大庭景親に呼び出された秀義は、「源頼朝討伐の密事」を聞きます。

翌日、秀義は、その話を頼朝に伝えるため、嫡男定綱を使わしています。

11日、定綱は頼朝のもとに到着して景親の密事を報告し、14日朝に渋谷庄への帰路についています。

頼朝は止めたそうですが、甲冑を用意して参上する旨を申し上げ、暇をもらったということです。

このとき頼朝は、定綱に「16日には戻って来るように」と伝えるとともに、渋谷重国に対して手紙を書いたといいます。


現在の早川城址の周辺
早川城址は、綾瀬市役所にほど近い所にあります。
かなり開発が進んでいますが、まだまだ自然が残された地域です。


そして、頼朝は、8月17日に挙兵し、伊豆国目代の山木兼隆を討ち取ります。

(佐々木四兄弟の遅参もありましたが・・・ 参考:源頼朝挙兵の日

しかし、相模国に進軍した頼朝は、石橋山の戦いで大敗してしまいました。

戦後、佐々木四兄弟は、渋谷庄に戻ります。


『吾妻鏡』によれば・・・


1180年(治承4年)8月26日、

大庭景親は、渋谷重国のもとへ行き、

「佐々木四兄弟は、頼朝に属し平家に弓を引いた。
その罪は許されることではない。

佐々木四兄弟を捜しているが、
妻子らを捕らえるべきだ」

と命令します。


しかし重国が、

「佐々木四兄弟には、年来の親しい間柄によって扶持を与えてきた。
しかし、彼らが旧恩のため、臣下として頼朝に仕えることを禁ずることはできない。

重国は、貴殿の招集に参じ、外孫佐々木五郎義清を連れて石橋山に駆けつけた。
その功を考えず、定綱以下の妻子を召し捕れとの命令であるが、本懐ではない」

と拒否すると、景親は、この理に伏して立ち去ったといいます。


その晩、定綱・盛綱・高綱の3人が、源頼朝の異母弟阿野全成を連れて渋谷館へ帰ってきました。
3人は深山を出たところで全成に出会ったといいます。

重国は喜びますが、世間の憚りを気遣って、倉庫に招き、食事と酒を勧めました。


その間、重国が「経高は討ち取られたのか?」と尋ねると、
定綱が「存念があるといって一緒に来ませんでした」と答えます。

すると重国は、

「一度だけ、頼朝様に参じるのを止めたことがある。
しかし、それを聞かず参じてしまった。

戦いに負けてしまった今、
重国に会うことを恥じているのかもしれない」

と言って、部下に行方を捜させたといいます。

この話を聞いた人は、渋谷重国は情けがあると感心したということです。


のちに重国は、頼朝に臣従して所領を安堵してもらっています。



東郷氏祖発祥地碑

渋谷氏の一族の一つが日露戦争で連合艦隊を率いた東郷平八郎を生んだといわれている。


 長泉寺

綾瀬市にある渋谷氏ゆかりの寺。

かつてここには、渋谷氏の菩提寺があったといいます。

渋谷重国の子といわれる金王丸の伝説が残されています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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源頼朝の挙兵・・・山木館襲撃

源頼朝挙兵の日


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