別冊『鎌倉手帳』




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2011年5月14日土曜日

田代観音と呼ばれる安養院~鎌倉~


ツツジの名所として知られる安養院は、板東観音巡礼鎌倉観音巡礼の第三番札所となっています。


安養院


~長楽寺と善導寺の合寺~

北条政子は、1225(嘉禄元年)、源頼朝の菩提を弔うため、

笹目に願行を開山とした長楽寺を建立しますが、1333年(元弘3年)、鎌倉幕府の滅亡時の兵火によって焼けてしまったといいます。

そして、同じく兵火によって焼かれてしまった善導寺跡(現在地)へ移されました。


長楽寺跡

鎌倉文学館の入口に建てられている石碑です。


~三ヶ寺合寺~

1680年(延宝8年)、安養院は全焼してしまい、再建の際には、比企ヶ谷にあった「田代観音堂」(白花山普門院田代寺)が移されます。

「田代観音堂」は、源頼朝に仕えていた田代信綱が建てた堂で、本尊は、現在、安養院の本堂に安置されている千手観音像でした。

というわけで・・・

長楽寺・善導寺・田代寺の三寺が合わさったのが現在の安養院となります(「安養院」という名称は北条政子の法号からきています。)。



安養院千手観音
(手前は阿弥陀如来像)

安養院の千手観音は「田代観音」とも呼ばれています。

田代信綱が守本尊としていた「千手観音画像」が胎内に納められていることからそう呼ばれているそうです。


~室町時代の医師田代三喜~

田代信綱の子孫に田代三喜がいます。

三喜は、円覚寺内の江春庵に住んでいたようですが、1509年(永正6年)、古河公方足利成氏に招かれ、古河公方の侍医になったといいます。

信綱の子孫は医術を業としていたようです。信綱自身も頼朝軍の軍医だったのかもしれません。


安養院






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