我が国臨済宗の開祖で、それまで上流階級に限られていた喫茶の習慣を一般社会に伝えたのもの栄西です。
栄西は宋から帰国後、禅を広めようとしますが、京で比叡山からの迫害に遭い、1199年(正治元年)、鎌倉に下ってきました。
そして、1200年(正治2年)、北条政子から亀ヶ谷の地を寄附され、壽福寺の開山に迎えられています。
~源実朝に献上された『喫茶養生記』~
源実朝に献上されたという我が国最古の茶書です。
上下二巻からなる書籍で、上巻は茶について、下巻は桑について、その名称、効用、使用法、製法などが述べられています。
国の重要文化財に指定されています。
『吾妻鏡』によると、1214年(建保2年)2月4日、二日酔いで苦しむ源実朝に、栄西は一服の茶とともに「茶徳を誉むるところの書」としての『喫茶養生記』を献上したといいます。
壽福寺には、『喫茶養生記』の古写本が伝わっていますが、現在は、鎌倉国宝館に寄託されています。
宋で臨済禅を学んだ栄西は、鎌倉に下り壽福寺を開きますが、当時の鎌倉では天台宗・真言宗が主流でしたので、栄西も天台宗の僧として信仰されていました。
壽福寺も天台・真言・禅の三宗兼学の寺院としてはじまっています。
しかし、のちに鎌倉に禅宗が盛んになる基は栄西が築いています。
(参考:禅~自身で開く悟り:鎌倉新仏教~)
栄西は、源実朝に『喫茶養生記』を献上した翌1215年(建保3年)、壽福寺で亡くなったといわれていますが・・・
7月5日に京都の建仁寺で亡くなったとする説が有力のようです。
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鎌倉との繋がりを求めて。