別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年4月3日日曜日

太田道灌の首塚

源氏山から壽福寺の墓地へ下っていく道の途中に戦国武将太田道灌の首塚といわれる供養塔があります。

(鎌倉市)

太田道灌齋大居士と刻まれています。


太田道灌は、江戸城を築いたことで知られ、現在、英勝寺のある地に屋敷があったと伝えられています。

扇谷上杉家の家宰(筆頭重臣)として活躍しますが上杉定正によって暗殺されました。

参考:扇谷上杉管領屋敷跡



(伊勢原市・洞昌院)




(伊勢原市・大慈寺)



太田道灌は、扇谷上杉家と山内上杉家の争いに巻き込まれ、主君上杉定正によって暗殺されてしまいます。

道灌は襲われたとき「当方滅亡」と言い残します。

これは「扇谷上杉家は滅びる」という予言だったといいます。

のちに、小田原北条氏が台頭してくると扇谷上杉家は滅ぼされ、山内上杉家も鎌倉から離れることになります。


太田道灌像
(伊勢原市役所)


英勝寺

英勝寺開山の英勝院尼は、道灌から数えて四代目の康資の娘といわれています。

徳川三代将軍家光より道灌の旧跡を譲り渡され英勝寺が建立されました。



伊勢原市最大のイベント
道灌まつり