1231年(寛喜3年)に発願、翌貞永元年に寺地が定められ、1235年(嘉禎元年)に寛喜寺として落慶し、開山に定豪が迎えられたといいます。
寺号は発願時の年号(寛喜)からのものといわれています。
明王院は、祈祷を使命とされた密教寺院で、中世には祈祷所として栄えました。
その後、庶民にもその信仰が移り、現在では、1月と9月に例祭が行われるようになったといいます。
「護摩焚き供養」では、大音声の祈祷の読経が行われます。
「真言密教」による「護摩焚き」は、煩悩・妄想を焼き滅ぼすという意味があるそうです。
「密教」というのは「秘密仏教」の略ともいわれていますが、現在でもその作法を明かさない宗派もあるようです。
したがって、写真などは撮らせないのが定法となっています。
~鎌倉幕府将軍の最後の寺院建立~
鎌倉幕府の将軍による寺院の創建は、明王院の創建が最後となりました。
初不動
明王院
鎌倉手帳