永福寺跡
奥州征伐から2年後の1191年(建久2年)、
源頼朝は永福寺創建に着手し、翌年、苑池と中堂の二階堂が完成します。
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永福寺復元図(遊歩道の説明板より)
中堂は「二階堂」と呼ばれ、平泉中尊寺大長寿院を模したものです。
そして、1193年(建久4年)には阿弥陀堂、翌年には薬師堂が建立され、
本堂の両側に脇堂のある形が整えられました。
1200年(正治2年)に釣殿
1202年(建仁2年)に多宝塔、
1216年(建保4年)に塔
が建立されたと伝えられています。 |
発掘調査による建物と庭園の様子
それぞれが廊で結ばれ、薬師堂と阿弥陀堂の外側には、翼廊が付けられていました。
そして、三堂の前面には苑池が設けられ、二階堂前には長い橋が架けられていました。
浄土教式苑池の寺院建築としては最大級のものだったそうです。
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永福寺の背後の山は遊歩道として整備されています。 |
遊歩道からみた永福寺跡
鎌倉アルプス https://www.yoritomo-japan.com/kodou.htm |
二階堂大路にあるテニスクラブの標識のある路地を入って行くと
永福寺跡背後の遊歩道です。
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永福寺跡
鎌倉手帳