正式名称は、藤沢山無量光院清浄光寺ですが、「遊行上人のおわす寺」ということで「遊行寺」という名称で親しまれてきました。
遊行寺橋
旧東海道からこの橋を渡ると遊行寺の入口です。
江戸時代、藤沢は東海道の六番目の宿場町として栄え、
江の島詣の客などで賑わいました。
遊行寺はその中心地にありました。
この遊行寺橋は、旧東海道が境川を渡るところに架けられた橋です。
現在の橋は昭和35年に架けられたもので、
「かながわの橋100選」に指定されています。
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遊行寺橋は、安藤広重の絵にも描かれています。
手前の鳥居は、江の島道の始点に建てられていたもので、
遊行寺橋の手前にあったそうです。
こうした風景が浮世絵によく描かれたそうです。
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冠木門
遊行寺橋を渡ると黒門です。
日本三大黒門と呼ばれるそうですが、他の二つは不明です。
黒門の先は「いろは坂」です。
弥陀の四十八願になぞられて造られた坂といわれています。
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本 堂 本堂は、東海道随一といわれる木造建築です。 |
中雀門
放生池
俣野大権現
開基俣野五郎景平が祀られています。
開山の呑海は、景平の弟といわれています。
呑海が廃寺となっていた極楽寺に住んだことが、遊行寺のはじまりとなります。 |
梵鐘
神奈川県の重要文化財に指定されている銅鐘です。
1356年(延文元年)の鋳造で藤沢市最古のものです。
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敵御方供養塔
上杉禅秀の乱で戦死した者の供養塔です。
銘文には、戦没した敵味方、軍馬の亡魂を弔ったもので、
1418年(応永25)に建立されたもので、国の指定史跡です。
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一遍上人像
時宗の開祖は一遍です。
「決定往生六十万人」と書かれた札を配って各地を遊行しました。
この札は「賦算札」と呼ばれています。
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「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」
(なむあみだぶつ けっていおうじょう ろくじゅうまんにん)
一遍が配った札です。
六十万人の人たちに配ろうと考えて札を作ったようですが、
実際は、二十五人ほどで終わってしまったようです。
それにしても凄い数です。
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一遍上人絵伝
1282年(弘安5年)、一般は巨福呂坂から鎌倉に入ろうとしますが、
ときの執権北条時宗に阻止されてしまいます。
一遍は、その日、現在の光照寺(鎌倉山ノ内)の辺りで野宿したと伝わっています。
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一遍上人地蔵堂跡(片瀬)
その後、一遍は片瀬に赴いて布教を開始しました。
四ヶ月という長い滞在だったと伝えられています。
片瀬には、一遍が踊り念仏を行ったという「一遍上人地蔵堂跡」が残されています。
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宇賀神
すみきり紋
歴代住職の墓 |
板割浅太郎の墓
遊行寺
https://www.yoritomo-japan.com/yugyoji.htm
小栗判官の伝説
http://okadosblog.blogspot.com/2010/12/blog-post_8782.html
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html