別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年12月29日水曜日

時宗総本山清浄光寺(遊行寺:藤沢)

藤沢の遊行寺は、1325年(正中2年)に創建された時宗の総本山です。開山は呑海、開基は俣野五郎景平と伝えられています。

正式名称は、藤沢山無量光院清浄光寺ですが、「遊行上人のおわす寺」ということで「遊行寺」という名称で親しまれてきました。


遊行寺橋
旧東海道からこの橋を渡ると遊行寺の入口です。
江戸時代、藤沢は東海道の六番目の宿場町として栄え、
江の島詣の客などで賑わいました。
遊行寺はその中心地にありました。
この遊行寺橋は、旧東海道が境川を渡るところに架けられた橋です。
現在の橋は昭和35年に架けられたもので、
「かながわの橋100選」に指定されています。

遊行寺橋は、安藤広重の絵にも描かれています。
手前の鳥居は、江の島道の始点に建てられていたもので、
遊行寺橋の手前にあったそうです。
こうした風景が浮世絵によく描かれたそうです。

冠木門
遊行寺橋を渡ると黒門です。
日本三大黒門と呼ばれるそうですが、他の二つは不明です。
黒門の先は「いろは坂」です。
弥陀の四十八願になぞられて造られた坂といわれています。

本 堂
本堂は、東海道随一といわれる木造建築です。

中雀門

放生池

俣野大権現
開基俣野五郎景平が祀られています。
開山の呑海は、景平の弟といわれています。
呑海が廃寺となっていた極楽寺に住んだことが、遊行寺のはじまりとなります。

梵鐘
神奈川県の重要文化財に指定されている銅鐘です。
1356年(延文元年)の鋳造で藤沢市最古のものです。

敵御方供養塔
上杉禅秀の乱で戦死した者の供養塔です。
銘文には、戦没した敵味方、軍馬の亡魂を弔ったもので、
1418年(応永25)に建立されたもので、国の指定史跡です。

一遍上人像
時宗の開祖は一遍です。
「決定往生六十万人」と書かれた札を配って各地を遊行しました。

この札は「賦算札」と呼ばれています。

「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」
(なむあみだぶつ けっていおうじょう ろくじゅうまんにん)
一遍が配った札です。
六十万人の人たちに配ろうと考えて札を作ったようですが、
実際は、二十五人ほどで終わってしまったようです。
それにしても凄い数です。

一遍上人絵伝
1282年(弘安5年)、一般は巨福呂坂から鎌倉に入ろうとしますが、
ときの執権北条時宗に阻止されてしまいます。
一遍は、その日、現在の光照寺(鎌倉山ノ内)の辺りで野宿したと伝わっています。

一遍上人地蔵堂跡(片瀬)
その後、一遍は片瀬に赴いて布教を開始しました。
四ヶ月という長い滞在だったと伝えられています。
片瀬には、一遍が踊り念仏を行ったという「一遍上人地蔵堂跡」が残されています。


宇賀神


すみきり紋

歴代住職の墓




板割浅太郎の墓




遊行寺
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小栗判官の伝説
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鎌倉手帳
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