1198年(建久9年)12月27日、源頼朝は、相模川に架けられた橋の落慶式に参列します。
この橋は、稲毛重成が亡き妻(北条政子・義時の妹)の供養のために架けた橋です(相模川の橋供養)。
茅ヶ崎市の「旧相模川橋脚」は、頼朝が橋供養のために参列した橋のものといわれ、長く地中に埋もれていましたが、関東大震災で浮かび上がってきたそうです。
国の指定史跡となっています。
関東大震災で浮かび上がった橋脚
大正期の作業の様子
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~頼朝の落馬と死~
相模川の橋供養の帰路、頼朝は落馬してしまいます。
『吾妻鏡』は、その落馬が原因となって翌正月の13日に亡くなったと伝えていますが、
1196年(建久7年)から頼朝が亡くなるまでの記事を欠いていることから、頼朝の死の原因についての詳しいことは不明のままです。
旧相模川橋脚の近くには「弁慶塚」も残されていて、弟源義経や壇ノ浦に沈んだ安徳天皇らの怨霊に出会って落馬したとの伝説も生まれています。
藤沢市辻堂には頼朝が落馬した地と伝えられている場所もあります。
(鶴嶺八幡宮参道)
源義経一族の亡霊を鎮めるための塚といわれています。
(藤沢市辻堂)
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