別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2021年9月13日月曜日

明治天皇の死に殉じた乃木将軍


乃木希典(乃木将軍)は、日露戦争で旅順要塞を攻略し、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄として讃えられた人物です。


乃木将軍は、明治天皇の希望により学習院院長を務め、明治天皇は3人の孫の養育係を任せています。

昭和天皇も乃木将軍の教育を受けました。


「いさをある人を教への親として おほし立てなん大和撫子」

明治天皇が乃木将軍の学習院院長就任を祝して贈った歌です。


片瀬海岸にあった乃木将軍の銅像

藤沢市の片瀬海岸には、学習院の水泳訓練所があったそうです。

片瀬漁港の入口には、銅像の台座石が残されています。


乃木将軍の台座石


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~ 殉  死 ~

1912年(明治45年)7月19日、乃木将軍は、学習院の生徒を連れて片瀬海岸へ水泳演習に向う途中、新橋駅の号外で明治天皇が倒れたことを知ります。


その後、明治天皇は、7月29日に容態が急変し、翌30日に崩御されました。

最初に拝訣を許されたのが乃木将軍だったといわれています。

そして、乃木将軍は、このとき殉死する決意を固めたのでしょう。


9月13日、明治天皇の御大葬の儀が執り行われました。

御大葬が終わり、赤坂の自邸に帰った乃木将軍は、午後8時ころ、妻ととともに自刃します。


乃木希典辞世の歌

「神あかりあかりましぬる大君の みあとはるかにおろかみまつる」

「うつし世を神さりましし大君の みあとしたたひてわれはゆくなり」


静子夫人辞世の歌

「いでましてかへります日のなしときく けふの御幸に逢ふそかなしき」



1879年(明治12年)、赤坂に移り住んだ乃木希典が、1902年(明治22年)に新築した建物。



乃木神社は、明治天皇大葬の日に自刃した乃木希典と乃木静子を祀る社。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆


片瀬海岸にあった乃木将軍の銅像は、今どこにあるのかもわかりませんが、銅像の前に建てられていたという「爾霊山高地」(203高地)の碑は、江の島児玉神社に置かれています。



乃木将軍の銅像は、江の島がよく見える所に建てられていました。


二百三高地碑


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~佐々木高綱の子孫~

源頼朝の挙兵に貢献した佐々木高綱は、宇治川の先陣争いで知られていますが、その次男光綱は、乃木氏の祖ともいわれています。

乃木将軍は、乃木氏の末裔と称していたといいます。



鳥山八幡宮は、横浜市港北区鳥山にある神社。

佐々木高綱の館がこの辺にあったのだといいます。







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

青天を衝け:渋沢栄一

渋沢栄一は、1924年(大正13年)に乃木神社大祭の時に掲揚する大幟の文字を揮毫したのだという。


渋沢栄一生誕地


東京で渋沢栄一


横浜で渋沢栄一


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