別冊『鎌倉手帳』




okadoのブログは、『中世歴史めぐり』の別冊。
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2011年9月13日火曜日

明治天皇の死に殉じた乃木将軍

乃木希典(乃木将軍)は、日露戦争で旅順要塞を攻略し、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄として讃えられた人物です。

その後、乃木将軍は、明治天皇の希望により学習院院長を務め、明治天皇は3人の孫の養育係を任せています。

昭和天皇も乃木将軍の教育を受けました。


「いさをある人を教への親として おほし立てなん大和撫子」

明治天皇が乃木将軍の学習院院長就任を祝して贈った歌です。



片瀬海岸にあった乃木将軍の銅像
藤沢市の片瀬海岸には、学習院の水泳訓練所があったそうです。
片瀬漁港の入口には、銅像の台座石が残されています。
http://okadosblog.blogspot.com/2011/06/blog-post_7459.html


~ 殉  死 ~

1912年(明治45年)7月19日、乃木将軍は、学習院の生徒を連れて片瀬海岸へ水泳演習に向う途中、新橋駅の号外で明治天皇が倒れたことを知ったといいます。


その後、明治天皇は、7月29日に容態が急変し、翌30日に崩御されました。

最初に拝訣を許されたのが乃木将軍だったといわれています。

そして、乃木将軍は、このとき殉死する決意を固めたのでしょう。


9月13日、明治天皇の御大葬の儀が執り行われました。

御大葬が終わり、赤坂の自邸に帰った乃木将軍は、午後8時ころ、妻ととともに自刃します。


乃木希典辞世の歌

「神あかりあかりましぬる大君の みあとはるかにおろかみまつる」

「うつし世を神さりましし大君の みあとしたたひてわれはゆくなり」


静子夫人辞世の歌

「いでましてかへります日のなしときく けふの御幸に逢ふそかなしき」


片瀬海岸にあった乃木将軍の銅像は、今どこにあるのかもわかりませんが、銅像の前に建てられていたという「爾霊山高地」(203高地)の碑は、江の島児玉神社に置かれています。


江の島
乃木将軍の銅像は、
江の島がよく見える所に建てられていました。
https://www.yoritomo-japan.com/enosima.htm


~佐々木高綱の子孫~

源頼朝の挙兵に貢献した佐々木高綱は、宇治川の先陣争いで知られていますが、その次男光綱は、乃木氏の祖ともいわれています(参考:渋谷重国と佐々木四兄弟)。

乃木将軍は、乃木氏の末裔と称していたといいます。


鳥山八幡宮の参道
横浜市港北区鳥山にある神社です。
佐々木高綱の館がこの辺にあったといいます。
https://www.yoritomo-japan.com/toriyamahatiman.htm

三会寺
(横浜市港北区鳥山)
佐々木高綱創建という寺。



鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


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