光触寺の本尊阿弥陀如来像(国重文)は、「頬焼阿弥陀縁起」(国重文)に描かれた仏像だと伝えられています。
光触寺の門前には「頬焼阿弥陀」の石柱があります。
そして山門にも「頬焼阿弥陀」の文字があります。
運慶作と伝わる阿弥陀如来像。
この像が光触寺にある伝説の頬焼阿弥陀です。
光触寺の本尊阿弥陀如来像の伝説は、国の重要文化財に指定されている「頬焼阿弥陀縁起」に描かれています。
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~頬焼阿弥陀縁起~
(紙本淡彩 頬焼阿弥陀縁起 二巻(国重文))
仏師運慶は町局(まちのつぼね)に招かれ阿弥陀如来像の製作を依頼されました。
完成した像に町局は喜び日夜供養を怠らなかったといいます。
ある日、局の家のものが無くなったのを、局は仕えていた万歳法師のせいにしました。
局は家人に命じて法師の頬に焼印を押すように命じます。
しかし、法師の頬には焼印の跡がつかなかったといいます。
そして、局の夢の中に阿弥陀如来が現れました。
阿弥陀如来は「何故私の顔に焼印を押すのか」と云ったそうです。
次の朝、局が阿弥陀如来像を見ると頬に焼印の跡があったそうです。
局は阿弥陀如来が法師の身代わりになったのだと悟ったそうです。
(法師も阿弥陀如来を信心していたといいます。)
その後、局は阿弥陀如来像を修復しようとしますが、頬の焼印は消えませんでした。
局は比企ヶ谷に岩蔵寺を建て、この阿弥陀如来像を本尊として祀り、手を合わせながら往生したと伝えられています。
法師も、さらに信心を重ね大往生したそうです。
この伝説は、鎌倉時代の仏教説話集の『沙石集』にも描かれています。
(※様々に言い伝えられているので、他にも異なった伝説が記されているものがあるかもしれませんがご容赦願います。)
町局が建てた岩蔵寺の本尊が、現在の光触寺の本尊阿弥陀如来像だと伝えられています。
光触寺の山号は「岩蔵山」です。
比企ヶ谷にあった岩蔵寺が光触寺の前身だということです。
※頬焼阿弥陀の特別御開帳日は、6月と10月の第一土曜日。これらの日以外は予約が必要です。