江戸時代には、鎌倉は観光地として賑わいを見せはじめ、江の島詣が盛ん行われるようになると、旅人は金沢観光(横浜市)をしてから、朝夷奈峠を越えて鎌倉に入って来たそうです。
明王院裏山の尾根道を進んでいくと、
やがて鳥居が見えてきます。
その後ろに石の祠が置かれています。
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初め弁天 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page042hajime-benten.htm |
後方に置かれている祠。 こちらが昔の祠なのかもしれません。 |
鎌倉に入った旅人は、「初め弁天」を参詣した後、鎌倉の弁天様を巡り、最後に江の島の弁天様を参詣します。
そういった意味から、江の島の弁財天は「終り弁天」と呼ばれていました。
江の島の青銅鳥居
弁財天信仰で賑わいを見せていた江の島の象徴ともいわれた鳥居です。
現在の鳥居は1821年(文政4年)に再建されたものです。
銘文には、吉原の花魁(おいらん)「松葉屋の代々山」の名も刻まれています。
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現在の鳥居の額は「江島大明神」ですが、
昔は「大弁財天」という額が掲げられていたそうです。
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鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html