別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


検索




2010年11月16日火曜日

大仏道(長谷駅から大仏切通)




私が高校一年生の頃、埼玉からはるばる鎌倉に来たときは、この長谷駅を降りて、かつてあった日本学生会館に泊まりました。

その時の改札は今と反対側だったような気がします。それとも両側にあったのでしょうか・・・。


由比ヶ浜はすぐそばです。

突き当たりの道は、星ノ井通りです。昔は観光ホテルがあったような気がします。

(参考:星の井通り


収玄寺

長谷駅から長谷寺鎌倉大仏(高徳院)方面へ歩くとすぐ左側にある日蓮宗の寺です。

東郷平八郎が書いた「四条金吾邸址」の石碑が建てられています


白日堂

鎌倉彫の店です。鎌倉市景観重要建築物等に指定されている建物です。

横の道は、御霊神社へ通じています。


長谷観音の交差点

鎌倉時代、由比ヶ浜から長谷観音の交差点までの道はなかったのかもしれません。
(あったとしても地元の農漁民が使う道だったようです。)

江戸時代の長谷小路を描いた地図にも、長谷寺から海(坂ノ下)に通ずる道が載っていないものがあるようです。

鎌倉時代の記録でも、稲村ヶ崎を通って鎌倉に入った宗尊親王龍ノ口刑場に送られた日蓮
そのいずれもが、「塔ノ辻由比ヶ浜を結ぶ道」を使用したものと考えられています。

(参考:塔ノ辻から由比ヶ浜への古道


長谷寺の参道

長谷寺は、736年(天平8年)の創建と伝えられ、「長谷観音」の名で親しまれています。

本尊は、開山の徳道の伝説が残されている十一面観音像で、木造としては日本最大級だということです。

ほんのわずかな距離ですが、長谷観音から高徳院(鎌倉大仏)への旧道が残されています。

(参考:長谷観音から大仏への旧道


光則寺

『立正安国論』と「龍ノ口法難」の伝説が残された光則寺の入口です。

日蓮の『立正安国論』を北条時頼に渡したのは、この寺を建てた宿谷光則でした。

境内には、日蓮が佐渡流罪(龍ノ口法難)になった際、弟子の日朗が幽閉されたという土牢が残されています。

(参考:立正安国論~鎌倉と日蓮~


桑ヶ谷療養所跡

桑ヶ谷療養所は、極楽寺の忍性が北条時宗の命で開設した療養所です。


高徳院(鎌倉大仏)

鎌倉大仏は、鎌倉の仏像では唯一の国宝です。

これだけ大きな仏像が、造像の目的、製作過程等の詳細が不明となっています。

かなり不思議な話です。

しかし、鎌倉の象徴であることは今も昔も変わりありません。


鎌倉大仏は・・・
与謝野晶子が詠んだように「美男」です。

大仏坂体育館

もとは水道局のポンプ場の建物だったそうですが、鎌倉市が借り受けて体育館として使用していました。

体育館は2002年に閉鎖され、建物も水道局に返還されています。


大仏坂トンネル

拡張工事も終了した新しい大仏坂トンネルです。

右側の階段は、大仏切通への道。葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースにも繋がっています。



大仏坂トンネルの上を越えていくこの階段は、長谷配水池へと続く階段です。

長谷配水池から極楽寺方面の坂を下りいけば、極楽寺の裏にある稲村ヶ崎小学校に出ます。


大仏切通

こちらは鎌倉七口の一つ大仏切通に通じる階段です。鎌倉から藤沢方面に通ずる切通です。


葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース

そしてこちらの階段は、源氏山葛原岡神社を通って浄智寺へと通じているハイキングコースです。


鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


よりともジャパン.com


検索

Translate