別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年11月16日土曜日

今日は満月、藤原道長が見た望月





今日は満月。

1018年(寛仁2年)10月16日、藤原道長は四女の威子後一条天皇の中宮(皇后)になると・・・

この世をば
わが世とぞ思ふ
望月の
かけたることも
なしと思へば


と詠みました。

今日(2024年11月16日)は、旧暦の10月16日らしい。

今日の満月は道長が見た満月と同じ。


上の画像は今朝の5時前に藤沢市で見えた月。

6時半ごろに満月になるようです。




望月の歌



紫式部


藤原道長

藤原彰子









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


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2024年11月15日金曜日

鎌倉検定過去問~一遍~


(問) 時宗の開祖一遍の鎌倉入りを阻止したのは、だれの警護をしていた武士か。



一遍上人絵伝
『一遍上人絵伝』

1282年(弘安5年)3月1日、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとした一遍は、八代執権北条時宗によって阻止されたといわれ、その時の様子が藤沢の清浄光寺(遊行寺)に伝わる『一遍上人絵伝』に描かれています。


光照寺

光照寺は、鎌倉入りを阻止された一遍一行が野宿した場所と伝えられています。


一遍上人地蔵堂跡

翌日、一遍は藤沢の片瀬に移り念仏行を行います。

片瀬には、一遍が踊り念仏を行ったという「一遍上人地蔵堂跡」が史跡として残されています。


一遍上人島の井戸
(江の島)

江の島にある島の井戸は、一遍が飲料水に窮する島民を助けるために掘り当てたのだと伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


(問) 寺名と仏像名を漢字で書きなさい。




これは、光触寺にある一遍上人像。


一遍は、全国を遊行してまわり、民を「賦算(ふさん)」(「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書かれた札を配ること)と「踊り念仏」で極楽浄土に導いた僧。


「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」

(なむあみだぶつ けっていおうじょう ろくじゅうまんにん)

一遍が配った札です。

六十万人の人たちに配ろうと考えて札を作ったようですが、実際は、二十五万人ほどで終わってしまったようです。



六波羅蜜寺:空也上人像
(京都:六波羅蜜寺)

一遍の「躍り念仏」は、尊敬する空也に倣ったものといわれています(参考:六波羅蜜寺)。

六波羅蜜寺の空也上人立像は、運慶の四男康勝の作(重要文化財)。

念仏を唱える空也の口から吐き出された六体の阿弥陀は、「南無阿弥陀仏」の六文字を表現しています。


(神戸市:真光寺)

全国を遊行した一遍は、1289年(正応2年)8月23日、摂津国兵庫津の観音堂(真光寺)で遷化。


『遊行縁起』

『遊行縁起』には、観音堂で多くの人に見守られながら生涯を終えた一遍が描かれています。




鎌倉検定








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2024年11月14日木曜日

鉄造不動明王像の御開帳~大山寺もみじ祭:伊勢原市~



毎年、11月8日から12月8日まで開催されている大山寺もみじ祭では、本尊の鉄造不動明王が開帳されています。

鉄造不動明王像は、大山寺を再興した願行江の島に参篭して鋳造したもの(重要文化財)。

鎌倉の覚園寺にある鉄造不動明王像は、願行大山寺の不動明王像を鋳造するにあたって、試しに鋳造したものと伝えられ、「試みの不動」と呼ばれています。



大山寺もみじ祭



大山寺の紅葉


大山寺


日本遺産・・・大山

大山寺は、源頼朝が戦勝祈願のための太刀を奉納した寺として知られています。

大山詣の「納めの太刀」の風習は、頼朝の太刀奉納に始まるのだとか。








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2024年11月11日月曜日

双寿丸が仕える平為賢は高望王流桓武平氏~光る君へ~

 

大河ドラマ「光る君へ」で双寿丸が仕えているのは平為賢高望王流桓武平氏

高望王流桓武平氏は、高望王(平高望)が上総介として東国に下向したことに始まります。


為賢は、常陸国筑波郡多気を拠点とした平維幹の子。

平将門を討った平貞守は大伯父で、貞盛の家系からは、のちに武家政権を築く平清盛が出ています。

為賢は、海賊も恐れて逃げ出すという猛者で、1019年(寛仁3年)に起こった刀伊の入寇藤原隆家の指揮のもとで活躍。

戦後、肥前国鹿島藤津荘に土着して肥前伊佐氏の祖となりました。


為賢が活躍した刀伊の入寇は、武士の台頭と藤原道長の時代に最盛期を迎えた摂関政治を終わらせるきっかけとなります。


📎刀伊の入寇~外敵の侵略から日本を守った藤原隆家~

📎刀伊の入寇の恩賞と武士の台頭



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