(問) 時宗の開祖一遍の鎌倉入りを阻止したのは、だれの警護をしていた武士か。
『一遍上人絵伝』
1282年(弘安5年)3月1日、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとした一遍は、八代執権北条時宗によって阻止されたといわれ、その時の様子が藤沢の清浄光寺(遊行寺)に伝わる『一遍上人絵伝』に描かれています。
光照寺は、鎌倉入りを阻止された一遍一行が野宿した場所と伝えられています。
翌日、一遍は藤沢の片瀬に移り念仏行を行います。
片瀬には、一遍が踊り念仏を行ったという「一遍上人地蔵堂跡」が史跡として残されています。
(江の島)
江の島にある島の井戸は、一遍が飲料水に窮する島民を助けるために掘り当てたのだと伝えられています。
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(問) 寺名と仏像名を漢字で書きなさい。
これは、光触寺にある一遍上人像。
一遍は、全国を遊行してまわり、民を「賦算(ふさん)」(「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書かれた札を配ること)と「踊り念仏」で極楽浄土に導いた僧。
「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」
(なむあみだぶつ けっていおうじょう ろくじゅうまんにん)
一遍が配った札です。
六十万人の人たちに配ろうと考えて札を作ったようですが、実際は、二十五万人ほどで終わってしまったようです。
(京都:六波羅蜜寺)
一遍の「躍り念仏」は、尊敬する空也に倣ったものといわれています(参考:六波羅蜜寺)。
六波羅蜜寺の空也上人立像は、運慶の四男康勝の作(重要文化財)。
念仏を唱える空也の口から吐き出された六体の阿弥陀は、「南無阿弥陀仏」の六文字を表現しています。
(神戸市:真光寺)
全国を遊行した一遍は、1289年(正応2年)8月23日、摂津国兵庫津の観音堂(真光寺)で遷化。
『遊行縁起』
『遊行縁起』には、観音堂で多くの人に見守られながら生涯を終えた一遍が描かれています。
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