別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年9月19日木曜日

源氏物語の不義の子~光源氏と冷泉帝・薫~光る君へ


『源氏物語』の登場人物・冷泉帝は、藤壺中宮が産んだ桐壺帝の第十皇子。

光源氏の異母弟になりますが・・・

実は光源氏と藤壺の不義の子。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


光源氏は、桐壺帝が寵愛していた桐壺更衣が産んだ第二皇子。

しかし、3歳で母を亡くしました。

桐壺帝は、桐壺更衣が亡くなると、桐壺更衣に瓜二つの藤壺を入内させますが・・・

やがて光源氏は藤壺に恋をします。

そして、病気になった藤壺が里下がりしたときに関係を持ち、光源氏に生き写しの男児が生まれることに。

その男児が冷泉帝


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


諸説あるようですが、『源氏物語』桐壺帝のモデルは一条天皇桐壺更衣のモデルは藤原定子とも・・・

一条天皇藤原定子を寵愛していましたが、桐壺帝桐壺更衣を寵愛していました。

そして・・・

定子は第一皇子の敦康親王が幼い頃に亡くなり、桐壺更衣も光源氏が幼い頃に亡くなりました。

光源氏は・・・

美男だったという敦康親王がモデルの一人ということもあるのかも。

彰子が藤壺のモデルということも。

大河ドラマ「光る君へ」では・・・

彰子は自分を紫の上とかさねていたようですが・・・

紫の上藤壺の姪で光源氏の最愛の妻となる人。


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冷泉院は、弘仁年間(810-824)に嵯峨天皇の離宮として造営されたことに始まります。

譲位した上皇の後院(譲位した後の御所)として利用されました。

造営当時の名は「冷然院」でしたが、度重なる火災で焼失したため、「冷泉院」と改められたのだとか。

『源氏物語』では譲位後の冷泉帝の御所となりました。

鈴虫の巻では、光源氏が訪問しています。

冷泉帝は、出生の秘密を明かされて悩み苦しんだときもあったようですが、光源氏の養女・梅壺女御を中宮とし(秋好中宮)、光源氏を太政大臣とするなどの孝行を尽くしました。


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紫式部の泉

石山寺の紫式部の泉は『源氏物語絵巻』をモチーフにした噴水。

我が子ならぬ我が子を抱く光源氏

実は光源氏の次男・女三宮柏木との不義の子。

薫は六条院で育ちますが、光源氏が亡くなった後は冷泉院秋好中宮に可愛がられて育てられました。

冷泉院は、薫の出生の秘密を知らず、異母弟と思っていたようです。

成人した薫は「宇治十帖」の中心人物の一人となります。


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参考までに・・・

大河ドラマ「光る君へ」では紫式部の娘・賢子藤原道長との不義の子のようですが・・・

賢子も恋多き女性だったようです。




紫式部


源氏物語

光源氏









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紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

琵琶湖で紫式部・源氏物語

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


一条天皇


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


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2024年9月18日水曜日

日向の彼岸花~見ごろまでもう少し~




伊勢原市の日向地区はヒガンバナの群生地。

9月21日(土)・22日(日)・23日(月祝)には、臨時観光案内所が開設される予定です。

ただ、例年ですと今頃から見ごろとなっているようですが、今シーズンは開花が遅れています。

伊勢原市観光協会の情報によると、9月17日現在で日陰の涼しいところで徐々に咲きはじめているようです。




日向には、石雲寺浄発願寺白髯神社日向薬師など多くの寺社が点在しています。

日向薬師(霊山寺)は、行基によって開かれた薬師如来の霊場。

源頼朝は長女・大姫の病気快復を願って参詣しています。

北条政子も数回参詣し、10月の「道灌まつり」では「北条政子日向薬師参詣行列」が行われています。




日向のヒガンバナは小田急伊勢原駅からバスで。

伊勢原駅北口3番乗場「日向薬師行」終点下車。

臨時観光案内所は「日向薬師バス停」に開設されます。




日向の彼岸花


日向薬師

大山寺


日本遺産・・・大山


道灌まつり








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小出川の彼岸花

西方寺のヒガンバナ

常泉寺のヒガンバナ

英勝寺のヒガンバナ


鎌倉のヒガンバナ
ヒガンバナ


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鎌倉検定過去問~御霊神社の面掛行列~


坂ノ下の御霊神社例祭で行われる行事のうち,神奈川県の無形民俗文化財に指定されているものは何か。


毎年9月18日に、〔 ① 〕例祭で伎楽面や田楽面などをつけて行われる面掛行列は、神奈川県の無形民俗文化財に指定されており、〔 ② 〕時代中ごろから行われているという。


坂ノ下の御霊神社例祭では、伎楽面や田楽面を付けた面掛十人衆が練り歩く面掛行列が行われるが、これは何にならってはじめられたものか。


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御霊神社面掛行列は、1976年(昭和51年)に神奈川県の無形民俗文化財に指定されています。

鶴岡八幡宮の放生会で行われていた面掛行列に倣ったものといわれ、氏子たちが付ける面は、明和5年銘(1769年)のあるもの。




面掛衆の面は、爺・鬼・異形・鼻長・烏天狗・翁・火吹男(ひょっとこ)・福禄・阿亀・女(とりあげ)の十面。





東京国立博物館の「鶴岡八幡宮祭礼行列之図」は、江戸時代の鶴岡八幡宮の祭礼行列の様子を描いたもの。

その中には面掛行列も登場します。

1709年(宝永6年)、鶴岡八幡宮の祭礼を見物した紀伊国屋文左衛門は『鎌倉三五記』に行列の順序をこう記しているようです。

陵王・小飛出・釣眼・大べしみ・しかみ・福禄寿・末社・うそふき・おふく・天女。


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「円覚寺洪鐘祭絵巻」(明治35年)は、61年目ごと(60年に一度)に行われる円覚寺「洪鐘祭」(おおがねまつり)の様子を描いたもの。

洪鐘祭の祭礼行列には、かつて八雲神社(山ノ内)の例大祭で行われていた面掛行列も参加していたようです。



八雲神社の面掛行列は、1965年(昭和40年)の洪鐘祭を最後に絶えてしまっていたのだそうです。

しかし、令和の洪鐘祭で復活。




鎌倉検定


面掛行列








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御霊神社例大祭


御霊神社


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彰子の里下がりと安産祈願の五壇の御修法


1008年(寛弘5年)7月16日、一条天皇の中宮・藤原彰子は出産のため土御門殿に里下がり。

『紫式部日記』によると・・・

秋が深まってきた土御門殿は、池のほとりの木々の梢や遣水のほとりの草むらが色づき、そこら一帯の空も優美。

その中で彰子の安産を祈る僧の読経の声が響き渡り、夜になると涼しい風のそよめきに遣水のせせらぎの音が読経の声と溶け合って聞こえていたのだとか。


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『紫式部日記』には、彰子の安産祈願のための「五壇の御修法」も描かれています。

「五壇の御修法」は五大明王(不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉)を東・南・西・北・中央の五壇に祭って行う密教の修法。

後夜の鉦(午前4時頃)が響き渡り、勤行が始まります。

われもわれもと、競い声を上げている伴僧の声々が、遠くからまた近くから、絶え間なく聞こえてくるのは、まことに荘厳で尊く・・・

観音院の僧正が東の対から彰子の寝殿へと二十人の伴僧を率いていくときに、渡り廊下の床板がどんどんと踏み鳴らされる音さえも、他のときとは違う雰囲気だったのだとか。

また、法性寺の座主や浄土寺の僧都が揃いの浄衣姿で、いくつもの唐橋を渡りながら、木々の間をわけ入って帰っていく様子も、遠くまで眺めやっていたい感じがしてしみじみと感慨深かったようです。

斉祇の阿闍梨(藤原道綱の次男)が大威徳明王を礼拝している様子も描かれています。


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大雲寺は、紫式部の曾祖父・藤原文範が開基の寺。

『紫式部日記』に登場する観音院は冷泉天皇の皇后・昌子内親王が創建した大雲院の子院でした。

『源氏物語』(若紫の巻)で、光源氏紫の上が出会った北山の「なにがし寺」は、大雲寺がモデルともいわれています。



法性寺

法性寺は藤原忠平創建の寺院。

藤原氏の氏寺として栄え、花山天皇が寵愛した藤原忯子の四十九日法会が営まれています。




藤原道長

藤原彰子


一条天皇









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

琵琶湖で紫式部・源氏物語

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


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2024年9月16日月曜日

鎌倉検定過去問~鶴岡八幡宮例大祭の流鏑馬~


鶴岡八幡宮で9月に流鏑馬が行われるのはいつか。

鶴岡八幡宮例大祭の最終日に行われる流鏑馬で、全長約260mの馬場道に立てられる的の数はいくつか。

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鶴岡八幡宮例大祭は、源頼朝が始めた放生会を起源としています。

放生会では流鏑馬も奉納されていました。


小笠原流・流鏑馬

鶴岡八幡宮例大祭の最終日(9月16日)には、小笠原流流鏑馬が奉仕されています。




鶴岡八幡宮流鏑馬馬場は140間(254.54m)。



的は三つ。

一尺八寸角(0.55cm)の杉板を、的の中心までの高さが六尺(1.82m)となるように青竹に挟みます。

馬場元から一の的までは20間(36.36m)、一の的から二の的までは40間(72.72m)、二の的から三の的までは43間(78.18m)。




鎌倉検定


鶴岡八幡宮例大祭








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浜降式:鶴岡八幡宮例大祭

神幸祭:鶴岡八幡宮例大祭

流鏑馬


鶴岡八幡宮



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