別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年1月22日月曜日

源頼朝の歌~多賀城の壺の石ぶみ・鶴岡八幡宮の献詠披講式~


「陸奥の いはで忍は えぞ知らぬ かき尽くしてよ 壷のいしぶみ」

この歌は、源頼朝慈円に贈った歌。

後鳥羽上皇の命により編纂された『新古今和歌集』に載せられています。

「壺の石ぶみ」は、頼朝が奥州征伐の際に立ち寄った多賀城跡にある石碑「壺碑」ともいわれています(諸説あり。)。



多賀城碑は、「壺碑」(つぼのいしぶみ)とも呼ばれ、松尾芭蕉の『おくのほそ道』にも登場します。



鶴岡八幡宮献詠披講式は、源頼朝が「管弦詠歌の儀」を行ったという故事にちなんで始められた歌会。

2024年は3月27日(水)に行われます。




献詠披講式


金槐和歌集


光源氏:多賀城・塩竃・名取


鶴岡八幡宮


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2024年1月21日日曜日

源頼朝上陸の地の河津桜~2024鋸南町の頼朝桜まつり~




1180年(治承4年)8月28日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は真鶴の岩海岸から船出します。

翌日、上陸したのは安房国の平北郡猟島。

現在の鋸南町の竜島海岸です。


鋸南町では河津桜を「頼朝桜」と名付け、毎年「頼朝桜まつり」を開催しています。

2024年は、2月10日(土)~3月10日(日)。

佐久間ダムでは「竹灯籠のライトアップ」があります。




(鋸南町:竜島海岸)

源頼朝は、この浜に上陸し、北条時政三浦義澄らと合流。

鎌倉を目指しました。



頼朝桜まつり~鋸南町~








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


吾妻山:菜の花

曽我梅林

あたみ桜

松田町の河津桜


鎌倉桜情報


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2023年10月30日月曜日

京都御苑の白雲神社




京都御苑白雲神社は、源頼朝北条政子と関係のあった西園寺公経ゆかりの社。

公経が造営した北山殿(現在の金閣寺の地)に建立した妙音堂が始まりなのだといいます。












☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉との繋がりを求めて。
奈良・京都

源義経をめぐる京都

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2023年10月26日木曜日

吉野水分神社~清少納言・源義経・豊臣秀吉・豊臣秀頼ゆかりの社~





吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とする神社。

清少納言が『枕草子』の中で素晴らしい神の一つに挙げた社。

金峯山寺の僧兵に追われた源義経が逃げ延びた場所とも伝えられています。


楼門
(重要文化財)

豊臣秀頼寄進の湯釜

豊臣秀頼は、父の秀吉がこの地を訪れて授かったのだとか。



本殿
(重要文化財)




幣殿
(重要文化財)

豊臣秀頼寄進の神輿

幣殿に置かれている八角八棟造の神輿は、1604年(慶長9年)に豊臣秀頼が寄進したもの(奈良県指定文化財)。


???


拝殿
(重要文化財)



吉野水分神社









☆ ☆ ☆ ☆ ☆



吉野山


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関ヶ原の戦い


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閑院跡~藤原氏の邸宅・後鳥羽上皇の里内裏・豊臣秀吉の妙顕寺城~




閑院は、平安初期の藤原冬嗣の邸宅が始まり。

平安後期には、高倉天皇が里内裏として使用し、子の後鳥羽天皇は閑院で皇位を承継しています。




西福寺は、閑院跡に建立された真宗大谷派の寺院。




西福寺の山門脇には、「豊臣秀吉妙顕寺城跡」の碑。

妙顕寺は、鎌倉後期、閑院跡に日像が建立した京都で初めての日蓮宗寺院。

1583年(天正11年)、豊臣秀吉は妙顕寺を小川寺ノ内に移転させて二条新邸を築き、聚楽第が完成するまでの京都の政庁としました。

その後、慶長年間に西福寺が建立されます。








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