紫式部が生まれ育った地とされる紫野は、平安京を守護する玄武の山として崇められた船岡山の麓。
船岡山の東麓には紫式部の墓所や玄武神社があります。
紫式部は晩年を紫野で過ごしたのだといわれています。
玄武神社は平安京北方の守護神。
玄武とは、四方の方角を司る霊獣の一つで北方の守護神。
一般的に脚の長い亀に蛇が巻き付いた姿をしています。
2025年(令和7年)は巳年(蛇年)。
紫式部ゆかりの紫野をめぐりながら、蛇に関係する社に詣でるのもいいかもしれません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大徳寺の塔頭真珠庵には、「紫式部産湯の井」があるそうです。
雲林院は淳和天皇(在位・823ー833)の離宮・紫野院として造営されたのが始まり。
現在は大徳寺の境外塔頭となっていますが、大徳寺は衰退してしまった雲林院の敷地内に建てられた寺です。
『源氏物語』の主人公・光源氏が参籠した寺。
紫式部は、晩年は雲林院百毫院で過ごしたのだとか。
清少納言の『枕草子』によると、雲林院や知足院は賀茂祭の行列見物の名所となっていたようです。
今宮神社は、一条天皇の時代に疫病退散のために船岡山で行われた「紫野御霊会」 に始まる社。
紫式部が20歳前後の頃の正暦年間(990-995)、都では疫病が大流行。
一条天皇も疱瘡に罹患したといわれています。
疫病の流行は長徳年間(995-999)、長保年間(999-1004)まで続き、紫式部の夫藤原宣孝も疫病で亡くなったようです。
(檪谷七野神社)
賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)に巫女として奉仕した斎王の住まい・賀茂斎院は紫野にありました。
紫式部の時代の斎王は、村上天皇の第十皇女・選子内親王。
歴代最長の期間を斎王であり続け、大斎院と称されました。
毎年5月に開催されている葵祭は、上賀茂神社と下鴨神社の祭礼。
清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』にも描かれた斎王主宰の王朝行事。
古くは賀茂祭と呼ばれていました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆