1000年(長保2年)12月16日、一条天皇は愛する皇后宮・藤原定子を亡くしました。
それから11年後の1011年(寛弘8年)、病となった一条天皇は6月22日に崩御。
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『栄花物語』によると、一条天皇は崩御の3日前に出家。
露の身の
仮の宿りに
君を置きて
家を出でぬる
ことぞ悲しき
と詠んだのだといいます。
「露のようにはかない身がかりそめに宿る現世に、あなたを残して出家してしまう事は悲しい」
歌の中の「君」とは、中宮の藤原彰子のことと考えられますが・・・
寵愛した定子のことという説も。
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『栄花物語』によると、定子は三首の歌を遺しました。
そのうちの一つが
煙とも
雲ともならぬ
身なれども
草葉の露を
それとながめよ
という歌。
「煙とも雲ともならない我が身ですが、草の葉の露を我が身と思って下さい」
一条天皇が詠んだ歌は、定子の歌に対応したものだったのかもしれません。
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『源氏物語』~賢木の巻~で光源氏は
浅茅生の
露のやどりに
君をおきて
四方の嵐ぞ
静心なき
という歌を紫の上に贈りました。
「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、気ががりでなりません」
紫の上はこう返しました。
風吹けば
まづぞ乱るる
色変はる
浅茅が露に
かかるささがに
「風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に、糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから」
一条天皇は、辞世の歌を詠むにあたって『源氏物語』を参考にしたのかもしれません。
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