藤原兼家・道兼父子の謀略により元慶寺で出家した花山天皇は、播磨国の円教寺に入った後、比叡山に登り、戒壇院で受戒して法皇となります。
花山法皇は、大和国長谷寺を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺を摂津国の中山寺で探し出し、三十三の観音霊場を巡礼。
そのため、西国三十三所中興の祖といわれています。
西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだとか。
坂東三十三所は、源頼朝の発願によって開設されたといわれ、一説には頼朝の意思を受け継いだ子の実朝が西国霊場を模範として札所を制定したともいわれています。
その後、観音巡礼は、西国三十三所、坂東三十三所に、秩父三十四所が加わり、百観音巡礼として発展していきます。
(兵庫県宝塚市)
「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため」
中山寺は、観音信者の源頼朝も信仰した我が国初の観音霊場。
(奈良県桜井市)
「いくたびも まいる心は はつせでら 山も誓いも 深き谷川」
大和国長谷寺は、徳道が開いた観音霊場。
徳道は鎌倉の長谷寺も開いたと伝えられています。
鎌倉時代には源頼朝の妻・北条政子が参詣しているようです。
(滋賀県大津市)
「後の世を 願うこころは かろくとも ほとけの誓い おもき石山」
石山寺の国宝・多宝塔は源頼朝の寄進と伝えられています。
(滋賀県大津市)
「いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖」
源頼朝が鎌倉に建立した鶴岡八幡宮寺の初代別当は園城寺の円暁。
(京都)
「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は すずしかるらん」
源頼朝は、幼い頃に清水寺から授かった二寸銀の聖観音像を守り本尊としていました。
(京都)
「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば」
平安時代、六波羅蜜寺周辺には平清盛をはじめとする平家の邸宅が並んでいました。
平家の都落ち後、六波羅の地は源頼朝に与えられています。
(京都)
「わが思う 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり」
六角堂は、聖徳太子創建という観音霊場。
寺伝では1195年(建久6年)に源頼朝が参詣しているようです。
(京都)
元慶寺は、花山天皇が出家した寺。
そのため霊場ゆかりの地として番外寺院となっています。
(兵庫県三田市)
「有馬富士ふもとの霧は海に似て 波かときけば小野の松風」
花山院菩提寺は、花山法皇が隠棲した地。
花山院菩提寺も元慶寺と同じく霊場ゆかりの地として番外寺院となっています。
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