天海は、南禅寺の塔頭金地院の崇伝ととも徳川家康に仕え、黒衣の宰相と呼ばれた天台宗の僧。
1590年(天正18年)、家康が関東に入ると、徳川氏発祥の地とされる上野国新田荘の長楽寺に住持。
1599年(慶長4年)、武蔵国河越の喜多院に住持。
1607年(慶長12年)、比叡山の南光坊に住持。
1613年(慶長18年)、日光山の座主に就任。
1616年(元和2年)、久能山に葬られた家康を日光山に改葬。
家康の死後は、三代将軍の徳川家光に仕え、1624年(寛永元年)に寛永寺を創建。
家光の後援を得て寛永寺で印刷された一切経は「天海版」とも呼ばれています。
1643年(寛永20年)没(108歳)。
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