満昌寺は、1194年(建久5年)、源頼朝が三浦義明の追善のために建立した寺。
1180年(治承4年)8月、伊豆国で頼朝が挙兵すると、義明は一族を石橋山に送ります。
しかし、三浦軍は雨によって増水した酒匂川を渡ることができず、その間に頼朝は石橋山の戦いで大敗してしまいました。
仕方がなく兵を引いた三浦軍でしたが、帰路の由比ヶ浜で、当時まだ平家方の大庭景親に従っていた畠山重忠軍に遭遇してしまいます。
三浦軍と畠山軍は、戦うつもりはなかったようですが、杉本城(鎌倉杉本寺)を守っていた和田義茂が、三浦軍が攻められていると勘違いし、畠山軍を攻めたため合戦となってしまったのだとか。
辛うじて畠山軍を退けた三浦軍は衣笠城に辿り着きますが、日を置いて、重忠は衣笠城に攻め込んできました。
敗戦が確実となったとき、義明は子の義澄らに対し、逃れて頼朝に従うことを諭し、自らは城に残り自刃したのだと伝えられています。
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