別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2021年5月15日土曜日

三嶋大社の神のお告げのとおりに生まれた北条時宗


『吾妻鏡』によると・・・

1250年(建長2年)8月27日、北条時頼室(葛西殿)の懐妊が明らかとなります。

その時から鶴岡八幡宮の別当・隆弁は、三嶋大社に祈願を続けていたそうです。

翌1251年(建長3年)2月12日寅の剋、隆弁の夢の中に間に白髪の老翁が現れ、「祈念するところの懐婦は、5月15日酉の剋に男子を平産する」と告げたのだといいます。

そして5月15日。

そのとおりに男子が誕生したのだそうです。

のちの八代執権北条時宗です。



三嶋大社は、伊豆の流人だった源頼朝が源氏再興を祈願した社。



鶴岡八幡宮の境内にも三嶋大社が勧請されていました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

北条時宗が生まれたのは、父時頼の母松下禅尼の「甘縄の第」でした。

松下禅尼は、安達景盛の娘。

安達氏の館は、古くから甘縄神明神社の東南あたりと伝えられてきたようですが、近年の研究では無量寺ヶ谷にあったのではないかと考えられているようです。

「甘縄」というと「長谷」と思われるかもしれませんが、鎌倉時代は坂ノ下の御霊神社辺りから扇ヶ谷を含めた広範な地だったと考えられています。



安達邸内には無量寿院と呼ばれる寺があったようです。

その場所が、鎌倉歴史文化交流館が建てられている地とも考えられています。






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八代執権北条時宗

莫煩悩

三嶋大社


鶴岡八幡宮

五代執権北条時頼


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