別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年9月13日日曜日

親鸞と北条泰時と一切経


親鸞聖人像
(京都:大谷本廟)


『吾妻鏡』によると、1235年(文暦2年)2月18日、定豪が一切経の供養を執り行います。

 
指導僧は、興福寺の東南院の法印公宴。

願文を読むのは大蔵卿法印良信。

四代将軍の九条頼経も出席し、太刀持ちは武藤左近将監。

北条時房北条泰時が供をしました。


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一切経とは、二万巻以上あるという経典全てのことで、そのうちの五千数百巻を書写して奉納することで功徳が得られると考えられていたようです。

定豪による一切経の供養は、明王院の上棟にあわせて行われたものと考えられているようです(五大堂の建築が始まったのは2月10日)。

書写された一切経の校合には、浄土真宗開祖で東国で布教活動をしていた親鸞が関わったという説があります。

親鸞は北条泰時に要請され、常盤の地に逗留していたのだとか・・・


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1238年(嘉禎4)7月11日、四代将軍九条頼経に従って上洛していた北条泰時は、密かに園城寺を参拝しています。

一切経五千余巻を唐院灌頂堂に納めるためでした。

この一切経は、前年に北条政子の十三回忌にあたって書写したもの。

参拝した日は政子の命日でした。

経一巻ごとに泰時の花押があったのだといいます。


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園城寺に納めた一切経の校合にも親鸞が関わったという説もあります。

ただ、親鸞が東国で布教活動をしていたのは、1214年(建保2年)からの20年と言われています。

だとすると、北条政子十三回忌に書写された一切経の校合には関わっていないのかもしれません。

なお、明王院園城寺の一切経は同じものという説も・・・







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明王院

園城寺


三代執権北条泰時


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