かつて、東大寺大仏殿の東西には、100メートルに達する七重塔(東塔・西塔)が配されていたそうです。
しかし、平安中期に西塔が落雷で焼失。
東塔は、1180年(治承4年)12月の平重衡の南都焼討で焼失してしまいます。
南都焼討によって焼け落ちてしまった東大寺を復興させた俊乗坊重源は、1204年(元久元年)に東塔の再建に動き出します。
重源は1206年(建永元年)に入滅してしまいますが、栄西・行勇に再建計画が受け継がれ、重源入滅から20年が経った1227年(嘉禄3年)頃に完成したと考えられています。
ただ、再建された東塔も1362年(康安2年)に落雷で焼失してしまったそうです。
七重塔の相輪
1970年(昭和45年)に大阪で開催された日本万国博覧会で、古河グループは東大寺の七重塔を再現。
東大寺にある七重塔の相輪(そうりん)は、その頂に掲げられたもの。
万博終了後、七重塔は解体されてしまいますが、相輪は東大寺に寄贈されました。
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741年(天平13年)の聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって、各国に国分僧寺と国分尼寺が一つずつ置かれます。
相模国の国分寺は海老名に置かれました。
海老名駅前にある七重塔は、実物の約3分の1の大きさで建設された復刻版。
(海老名市温故館)
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