〔 壽福寺 〕の鎮守として崇められてきた巽神社は、801年(延暦20)、東北に向かう途中の〔 坂上田村麻呂 〕が、葛原ヶ岡に勧請したのが始まりで、1049年(永承4)には、〔 源頼義 〕が社殿を改修したとも伝えられる。〔 壽福寺 〕の巽(〔 南東 〕)の方角に位置することから、この名がついたという。
第7回鎌倉検定2級
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巽神社は、801年(延暦20年)、蝦夷征伐に向かった坂上田村麻呂が、その途上、葛原ヶ岡に勧請したのを始まりとしていると伝えられています。
(京都:清水寺)
この遠征に成功を収めた田村麻呂は、いったん帰京。
翌年、陸奥国に胆沢城を築き、蝦夷の指導者アテルイ(阿弖流為)を降伏させました。
(平泉)
平泉の達谷窟毘沙門堂は、坂上田村麻呂が蝦夷討伐を記念して建てました。
1189年(文治5年)の奥州征伐を行った源頼朝も参詣しています。
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巽神社の社殿を改修したという源頼義は、河内源氏の二代目棟梁。
頼義は、1028年(長元元年)に起こった平忠常の乱を鎮圧した後、平直方に気に入られ、直方の娘を妻とし、鎌倉の大蔵邸を寄進されました。
以後、鎌倉は河内源氏の東国支配の拠点となります。
(羽曳野市)
壺井八幡宮は、源頼義が河内源氏の本拠地に石清水八幡宮を勧請して創建した社。
(鎌倉)
材木座の由比若宮(元八幡)も頼義が創建した社。
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