別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年3月9日土曜日

上洛途上で比叡山の僧兵に遭遇した源頼朝


1195年(建久6年)2月14日、東大寺大仏殿の落慶供養参列のため鎌倉を発った源頼朝


3月4日には、『平治物語』で源義経が元服したと伝えられる近江国の鏡の宿を出発しますが・・・

馬を進めて瀬田橋まで来ると、橋の向こうに比叡山の僧兵たちが群集しています。

橋の東側で馬を止めた頼朝は挨拶すべきどうか考えますが、しばらくして、橘公業を呼んで僧兵たちのもとへ説明に行かせます。


公業は僧兵たちの前にひざまづいて、

「鎌倉の将軍が、東大寺大仏殿の落慶供養参列のため上洛するところですが、この集まりはどのようなことなのでしょうか。

将軍は不安を感じています。

ただ、武士の作法としては、このような所で下馬の礼を尽くすことはいたしません。

したがって、乗馬のまま通りますので、咎めだてのないように」

と伝えます。


その返事を聞く前に、頼朝は馬を進めていきます。

僧兵たちの前に来ると、弓を取り直して少し厳しい顔をすると、僧兵たちは頭を下げたのだとか。


瀬田の唐橋

かつては、「瀬田橋を制するものは全国を制す」と言われ、京都防衛上の重要な橋でした。

1184年(寿永3年)1月20日、源頼朝木曽義仲を追討する際には、源範頼が瀬田から、源義経が宇治から京へ入り、義仲を粟津で滅ぼしています。



比叡山延暦寺



東大寺大仏殿



東大寺大仏殿落慶供養



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