鎌倉尼五山の一つだった太平寺の仏殿が移築されました。
正続院の昭堂(礼堂)で、仏舎利を祀っていることから「舎利殿」と呼ばれています。
太平寺は、1556年(弘治2年)、安房の里見義弘が鎌倉に攻め入った際、住職の青岳尼を連れ去って妻としたことから、北条氏康(後北条氏)の怒りを受けて廃寺とされました。
その後、1563年(永禄6年)の大火で正続院の諸堂が焼失してしまったことから、氏康は太平寺の仏殿を移築して昭堂としました。
西御門の来迎寺裏のテニスコートが、太平寺のあった場所といわれています。
正続院は、円覚寺を開いた無学祖元の塔所。
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舎利殿に安置されている仏舎利は、三代将軍源実朝が宋より請来したもので、大慈寺に安置されていましたが、1285年(弘安8年)、九代執権北条貞時が円覚寺に建てた祥勝院に移されました。
その後、1335年(建武2年)、後醍醐天皇の勅命により夢窓疎石が建長寺にあった無学祖元の塔所を祥勝院の場所に移しました。
それが正続院です。
かつて十二所には、源実朝が創建した大慈寺がありました。
宋に憧れていた実朝は、宋の能仁寺から仏舎利を請来し、勝長寿院に安置した後、大慈寺に納めたのだと伝えられています。
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鎌倉時代には宋の建築様式が輸入され、その代表的なものが東大寺の南大門に見られる「大仏様」と円覚寺舎利殿にみられる「禅宗様」です。
東大寺の南大門は我が国最大の山門。
「大仏様」(だいぶつよう)または「天竺様」(てんじくよう)とも呼ばれる建築様式が採用されている国宝建築物です。
舎利殿は、鎌倉の禅宗様建築では最古のもので、鎌倉の建造物では唯一国宝に指定されています。
普段は、正続院の門から先に立ち入ることは出来ませんが、11月に行われる宝物風入の時などに拝観することができます。
また、横浜にある神奈川県立歴史博物館には、舎利殿が復元され、内部の様子も詳しく見ることができます。