浄妙寺は、足利義兼の建てた極楽寺という真言宗の寺をその前身としています。
(※義兼の子義氏の時に臨済宗に改められたと伝えられています。)
義兼は、源義家を祖とする源氏で、1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると、早い時期に頼朝に従い、源氏の血筋として鎌倉幕府では高い地位に置かれていました。
浄妙寺の本堂背後の墓地には、浄妙寺を中興した足利貞氏のものと伝わる宝篋印塔があります。
貞氏は、報国寺開基の足利家時の子で、八幡太郎義家から八代の子孫に当たります。
のちに鎌倉幕府に反旗を翻して室町幕府を開いた足利尊氏は、貞氏の次男です。
貞氏の宝篋印塔は、中央に宝生如来の浮彫が施されている珍しいものです。
貞氏は1331年(元弘元年)9月5日に亡くなったとされていますが、この宝篋印塔の基台の銘文には、「逆修塔」とあって、「明徳3年(1392年)」の銘があります。
「逆修塔」は生前に建てる供養塔ですので、もしかしたら・・・
この宝篋印塔は貞氏のものではないのかもしれません。