幕末に京都守護職・会津藩主松平容保の配下で活動した新選組。
壬生浪士組として発足し、その頃の隊員数は24名でしたが、池田屋騒動以降、隊員数が増加して最盛時には200名を超えていたのだとか。
そのため、壬生の屯所が手狭となり、移った場所が西本願寺。
境内には「新選組本陣」の看板が掲げられ、北集会所と太鼓楼が使用されていたそうです。
境内では実弾射撃が行われ、食料としての豚の飼育も行われていたのだとか。
西本願寺にとっては迷惑の日々が続いていたようです。
2年後、不動堂村屯所へ移転して行きますが、その費用を負担したのは西本願寺だったそうです。
太鼓楼は、唯一残されている新選組の足跡。
壬生寺は新選組ゆかりの寺院。
境内には新選組隊士の墓(壬生塚)があります。
京都守護職・会津藩主松平容保は金戒光明寺を本陣としていました。
新選組発祥の地といわれています。
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