八雲神社は、新羅三郎義光が京都の祇園八坂社(現在の八坂神社)を勧請して創建した鎌倉最古の厄除け神社。
義光は、河内源氏二代・源頼義の子。
兄には八幡太郎と呼ばれた義家がいます。
新羅とは、近江の新羅明神(新羅善神堂)で元服したことから呼ばれる名。
(京都)
新羅善神堂は、園城寺(三井寺)の北院の鎮守神・新羅明神像(国宝)が祀られています。
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平安時代後期、陸奥国では後三年の役が起こります。
新羅三郎義光は、乱の鎮圧にあたっていた兄・源義家の助勢のため陸奥国へと下ります。
その途中で鎌倉に立ち寄った義光は、疫病の流行に苦しむ村人をみて、京都の祇園社を勧請したのだといいます。
すると、たちまちに悪疫が退散したのだと伝えられています。
そういったことから、八雲神社は「鎌倉の厄除けさん」として親しまれ、江戸時代までは「鎌倉祗園社」と呼ばれていたそうです。
(大寶寺)
義光は、現在の大寶寺のある地に屋敷を構え、後に義光を祖とする佐竹氏の屋敷となったのだと伝えられています。
八雲神社の神幸祭は、まず義光の墓に祝詞を奏してから町内を巡行する習わしになっています。
2020年の大町まつりは中止。
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鎌倉との繋がりを求めて。