4月16日(土)、腰越では源義経の偉業を偲ぶ「義経まつり」が開催されます。
13:00から慰霊法要(満福寺)
14:00からパレード(龍口寺前~腰越天王屋敷)
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源義経は1159年(平治元年)に誕生。
父は源義朝、母は常盤御前。
幼名は牛若。
生まれて間もなく起こった平治の乱で父義朝が平清盛に敗れたことから、11歳のときに鞍馬寺に入ります。
1174年(承安4年)、16歳で奥州平泉の藤原秀衡のもとへ。
1180年(治承4年)、異母兄の源頼朝が挙兵するとわずかな郎党を引き連れて参陣。
(静岡県駿東郡・八幡神社)
その後、頼朝のもとで活躍。
1184年(元暦元年)には宇治川の合戦で源義仲を討ち、翌1185年(元暦2年)には壇ノ浦で平家を滅亡させました。
壇ノ浦で捕らえた平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとした義経でしたが・・・
頼朝は義経を鎌倉に入れる事はありませんでした(義経には無断で任官されるなどの問題がありました。)。
満福寺に逗留して書かれたのが「腰越状」です。
(満福寺)
結局、鎌倉に入る事ができなかった義経。
再び平宗盛を護送して都へと帰りますが、やがて、頼朝に追われて逃亡生活を送ることになります。
1187年(文治3年)、再び奥州平泉の藤原秀衡を頼りますが・・・
秀衡死後の1189年(文治5年)、藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃しました。
(平泉町)
義経の首は鎌倉へ送られ、腰越の浜で首実検が行われたと伝えられています。
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