それから820年。
鎌倉文学館では、特別展「生誕820年源実朝」が開催されています。
源頼朝は、北条政子が産気づくと、鶴岡八幡宮を初めとする相模国の27の神社仏閣に神馬を奉納し、安産のための読経をさせています(北条政子安産の祈願所~源実朝の誕生~)。
のちに三代将軍となった源実朝は、和歌の道に精進し、1213年(建保元年)頃には『金槐和歌集』を編纂したと伝えられています。
山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
風さわぐをちの外山に雲晴れて桜にくもる春の夜の月
世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも
和歌で名を残した源実朝は、1219年(建保7年)1月27日、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の式に出席した後、甥の公暁によって暗殺されました(源実朝の暗殺)。
実朝の首は見つからないまま勝長寿院に葬られたといいます。
鎌倉手帳
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