徳道は、721年(養老5年)、一本の楠の霊木から、二体の十一面観音を彫りました。
一体は大和(奈良)の長谷寺に安置され、聖武天皇の勅によって行基が導師に迎えられ開眼供養が行われました。
もう一体は「有縁の地に出現して人々を救いたまえ」と行基によって海に流されました。
そして、736年(天平8年)、相模国三浦郡の長井浜に漂着します。
その尊像が現在の地に祀られ、鎌倉の長谷寺のはじまりとなったと伝えられています。
かきがら稲荷 行基によって海に流された観音像は、 体に付着した「かきがら」の導きで流れ着いたと伝えられています。 鐘楼の横にある稲荷社には、 観音さまのお導きがあるようにと「かきがら」が祀られています。 |
長谷寺縁起絵巻 |
鎌倉の長谷寺には、奈良の長谷寺の草創と十一面観音造立の由来を描いた「長谷寺縁起絵巻」が残されています。
室町時代に描かれたものとされ、神奈川県の重要文化財に指定されています。
「長谷寺縁起絵巻」は、
菅原道真が「長谷寺縁起文」を執筆する場面から始まり、開基となる藤原房前の援助を受けて徳道が十一面観音を彫り、行基によって開眼供養が行われたことなどが描かれています。
ただ、残念ですが鎌倉の長谷寺に関する事は描かれていません。
はせでらを 詣りて沖を 眺むれば 由比のみきはに 立つは白浪 |
長谷寺の本尊十一面観音像は、約10メートルにもなる大きな像です。鎌倉大仏とともに「長谷観音」の名で親しまれてきました。
板東観音巡礼、鎌倉観音巡礼の札所となっています。
長谷寺
https://www.yoritomo-japan.com/page136hasedera.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html