静は京でも知られた白拍子でした。
静は、兄頼朝と対立して京を落ちる義経に従いますが、逃亡先の吉野で義経と別れることになります。その後、京へ帰る途中に捕えられ鎌倉に送られてきました。
頼朝は静に義経の行方をきびしく尋問しますが、静はそれを拒否し続けたそうです。
1186年(文治2年)4月8日、舞を見たくなった頼朝は、八幡大菩薩に献舞するためとして静を鶴岡八幡宮に招きます。
静はそれを断わりますが、北条政子のとりなしもあって仕方なく舞を披露しました。
舞った場所は鶴岡八幡宮若宮の回廊で、工藤祐経が鼓を畠山重忠が銅拍子を担当したと伝えられています。
よしの山
峰の白雪ふみ分けて
いりにし人の
あとぞ恋しき
|
しかし、まず静が歌ったのは、祝いの歌ではなく、吉野山で別れた義経を慕う歌でした。
しづやしづ
しづのおだまき 繰り返し むかしをいまに なすよしもがな |
そして、続けて歌われたのが、この歌だったといいます。
頼朝に対して反抗心を燃やす静からは、一切、祝いの言葉は出ませんでした。
源家の繁栄を祈ることを期待していた頼朝は激怒しますが、妻政子が諭したといいます。
あまり知られていないようですが、静は、翌5月27日にも勝長寿院で舞を披露しています。
頼朝の娘大姫に見せるための舞だったといいます。
ともに悲恋を経験した者ですので、何か通ずるものがあったのでしょうか・・・。
(参考:岩船地蔵堂)
投稿の写真は、「鎌倉まつり」で再現された「静の舞」です。
※「鎌倉まつり」の「静の舞」は、初日の午後3:00からです。
静の舞~鎌倉と静御前~
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