別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年4月8日金曜日

静の舞~鶴岡八幡宮~

4月8日は、鎌倉に送られてきた源義経の愛妾静御前が源頼朝に舞を披露した日です。
静は京でも知られた白拍子でした。

静は、兄頼朝と対立して京を落ちる義経に従いますが、逃亡先の吉野で義経と別れることになります。その後、京へ帰る途中に捕えられ鎌倉に送られてきました。

頼朝は静に義経の行方をきびしく尋問しますが、静はそれを拒否し続けたそうです。

1186年(文治2年)4月8日、舞を見たくなった頼朝は、八幡大菩薩に献舞するためとして静を鶴岡八幡宮に招きます。

静はそれを断わりますが、北条政子のとりなしもあって仕方なく舞を披露しました。

舞った場所は鶴岡八幡宮若宮の回廊で、工藤祐経が鼓を畠山重忠が銅拍子を担当したと伝えられています。


よしの山
峰の白雪ふみ分けて
いりにし人の
あとぞ恋しき

しかし、まず静が歌ったのは、祝いの歌ではなく、吉野山で別れた義経を慕う歌でした。


しづやしづ
しづのおだまき
繰り返し
むかしをいまに
なすよしもがな

そして、続けて歌われたのが、この歌だったといいます。

頼朝に対して反抗心を燃やす静からは、一切、祝いの言葉は出ませんでした。

源家の繁栄を祈ることを期待していた頼朝は激怒しますが、妻政子が諭したといいます。

あまり知られていないようですが、静は、翌5月27日にも勝長寿院で舞を披露しています。

頼朝の娘大姫に見せるための舞だったといいます。
ともに悲恋を経験した者ですので、何か通ずるものがあったのでしょうか・・・。
(参考:岩船地蔵堂


投稿の写真は、「鎌倉まつり」で再現された「静の舞」です。

「鎌倉まつり」「静の舞」は、初日の午後3:00からです。



静の舞~鎌倉と静御前~
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/sizuka.htm
鎌倉手帳
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