1182年(寿永元年)、源頼朝は妻政子の安産祈願のために若宮大路を整備します。
それと同じくして源平池の造営も行われました。
その時、源平池には橋が架けられていますが、それが「赤橋」であろうと考えられています。
現在の太鼓橋は、昭和2年に鉄筋コンクリートと石で造られた橋ですが、『新編相模国風土記稿』によれば、昔は朱塗りの板橋だったといいます。
そして、『新編鎌倉志』には、長さ五間幅三間だったと記されています。
鶴岡文庫にある模型です。 |
1591年(天正19年)、豊臣秀吉が作らせた「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」による模型ということです。
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~源平池~
北条氏庶流の北条義宗(六代執権北条長時の子)は、赤橋付近に屋敷を構えたため「赤橋駿河守」と呼ばれました。
以後、この系統は「赤橋流北条氏」と呼ばれます。
太鼓橋
鶴岡八幡宮