別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


検索




2011年5月3日火曜日

銭洗弁財天~鎌倉五名水:銭洗(井)水~

年間の観光客数が100万人を超す銭洗弁財天
岩窟内から湧き出る清水は名水として知られています(鎌倉五名水)。


銭洗弁財天は、源頼朝が夢のお告げによって、
宇賀福神を祀ったのがはじまりと伝えられています。


鎌倉時代初期、長い間戦乱の世が続き人々の生活は苦しくなっていました。

源頼朝は、人々の苦しみを取り除こうと日夜祈っていました。

すると、1185年(文治元年:巳の年)巳の月巳の日に、一人の老人が頼朝の枕元に現れました。


「ここから西北の方角に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧きだしています。

そこは清浄な地で福の神が住んでいて、その水を使っています。

この水こそは真の神の霊水なのです。

この水を絶えず使って、神仏を祀れば、人々は自然に信仰心を起こし、悪魔や邪鬼も退散して、国内はすぐに平穏に治まります。

私こそは隠れ里の主である宇賀福神です。」

といって姿を消したそうです。


頼朝は夢のお告げのとおり、西北の地に泉をみつけました。

そこに岩窟を掘らせ宇賀福神を祀って、湧き出る泉を使って神仏の供養を続けると、国内は平穏になり、人々の暮らしも豊かになったそうです。


境内には鳥居が並んでいます。

本宮

神社の正式名称は「銭洗弁財天宇賀福神社」です。
宇賀福神というのは、体がヘビで頭が人という姿をしています。

ヘビの好物である玉子が奉納されています。

奥宮(銭洗井)
参拝者は、岩窟の中の湧き水で財宝を洗います。
洗うと数倍になって帰ってくるといわれています。

1257年(正嘉元年:巳の年)の仲秋に、五代執権北条時頼は、頼朝の意志を受け継いで、隠れ里の福神を信仰しました。

時頼は、

「辛巳」(かのとみ)、「なる」、「かねの日」が、

全ての人々に福徳が授けられる日だとして、この日に参詣することをすすめたそうです。

そして・・・、

「弁財天を信仰する者が、持っている金銭をこの水で洗い清めて、同時に心身を清めて行いを慎めば、不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になる」

といい、率先して持っている金銭を洗って一家繁栄、子孫長久を祈ったといいます。


水神社下社(左)と上社(右)

奥宮上から見た「銭洗弁財天宇賀福神社」の境内





銭洗弁財天宇賀福神社
https://www.yoritomo-japan.com/page137zeniaraibenten.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


検索

Translate